読書会「東皇」ブログ

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『大学』を読む(001)

ここから『大学』を試験的に連載していこうと思います。

底本は中村惕齋『四書示蒙句解』です。

原文と書き下しとの次に「句解」として、惕齋の解説を意訳して書いています。

記事冒頭には線で囲った「まとめ」を書くつもりであり、また惕齋の「句解」箇所についても、分量が大きい時は、その中心的な箇所に下線を施しました。

かなり意訳となっている箇所もありますので、博雅の士のご叱正を仰ぎたく存じます。よろしくお付き合いください。

また〔※編者註〕とあるのは会主(当ブログ筆者)の補足です。

 

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『大学』とは、古代の教育機関「大学」において学ばれた内容を記した書である。

すべての人間は生れるときに、例外なく仁義礼智(+信)の性質を天(=エネルギー・変化・自然そのものである限りないもの)から授かっているが、そのバランスは人によって偏りがあり、どうにも円満というわけにはいかない。しかし……。

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大學章句序。(大学章句の序。)

句解

大学とは、この書の題である。意味については、のちほど「経」の冒頭で解説する。

章句とは、註釈のことである。ことばの切れ目を句という。一篇の文章の章や句を分割し、その間にことばを入れて内容を説明することから、註のことを章句ともいうのである。

序とは、書のはじめにしるすことばである。序という字は、「緒」すなわち「いとぐち」である。序によってその本全体の趣旨を把握することを、絹糸を紡ぐ際に繭のいとぐちをとって生糸を繰り出すことにたとえるのである。この序は、朱子がこの大学の書の章句をお作りになった由来を述べられたものである。

 

 

大學之書。古大學。所以教人之法也。(大学の書は、古への大学にして、人を教ふる所以の法なり。)

句解

この段は、大学の書の概要を述べたものである。

【古への大学】とは、夏・商・周という三代の王朝において、大学の道を学ぶ学校のことである。大学の道をしるした書を『大学』と名付け、またその道を研究教育する機関をも大学といった。

 

 

蓋自天降生民。則既莫不與之以仁義禮智之性矣。(蓋し、天、生民を降すよりは、則ち既に之に与ふるに仁義礼智の性を以てせずといふことなし。)

句解

ここから始まる三段は、人々はすべて「大学の道」による教育がなされなければいけない理由を説いている。

【蓋】とは、文を始める時に使われる字である。

【天、生民を降す】とは、天の気によって人々が生れることをいう。ありとあらゆる人や物のうち、天の造化のはたらきによって生じないものはない。天は上にあり、人や物は地に足のついたものであるから、天が降すという。【民】とは、すべての人々をさしていう。人はどんどん生れて殖えてゆくものなので、【生民】というのである。

この文の意味は、天が人々を生み出したときには既に「仁・義・礼・智」の四つの性を必ず与えている、ということである。

【性】とは、人が先天的に、心にそなえている道理(=本質的、かつ、そうあるべき性能)のことである。

【仁】は、物をあわれみ、いつくしむ道理。

【義】は、物事の宜しきところ、望ましくあるべき状態について思考判断する道理。

【礼】は、人をうやまい、己はへりくだる道理。

【智】は、物事の是非善悪などを理解する道理。

この四つに【信】を加えて五性という。これはまた木火土金水の五行の理である。

四つの性を五行に配当すれば、仁は木の理、義は金の理、礼は火の理、智は水の理である。信は土の理であり、ただ仁・義・礼・智の四性を持つうえでうそいつわりをしない「まこと」である。この「信」は、仁義礼智それぞれに内包されているから略して言わないのである。

五行を季節に配当した時に、春は木、夏は火、秋は金、冬は水で、土は土用として、それぞれの季節の変わり目に配当されるが、五行を性に配当するのも、四季に配当するのも、理屈は同じことである。

この世界に発生し存在するものはすべて、陰陽の気・五行の気とを受けてかたちづくられるので、必ず気の理(=性質)を具えている。五行の木・火の気は陰陽では陽であり、金・水の気は陰であり、土は中和の気である。このように、五行と陰陽とは不可分である。

人体でいえば、外側には気・血・骨・肉・毛があり、内側には肺臓・脾臓・心臓・肝臓・腎臓があり、頭部には耳・目・鼻・口・舌があり、それぞれ五行の分配がある。それは心についても同様である。

〔※編者註〕儒学における「天」とは、「そら」ではなく、ありとあらゆる物事の発生・発展・結実・完成などの全段階をつかさどる無限の「エネルギーそのもの」「なりゆきそのもの」「変化そのもの」である。世の中に天より大きく偉大なるものがないという考えに立つゆえ、天をその象徴とする。なお天の性質については『易経』に詳しく説かれている。

 

 

然其氣質之稟。或不能齊。(然れども其の気質の稟けたること、或は斉しきこと能はず。)

句解

【然】とは、上文を受けて、「だがしかし」と話題を転換することば。

【気】は、五行の気。

【質】は気が凝集して、形をとったものをいう。

人は例外なく仁義礼智信の五性をそなえているが、天から気質を受け取って生まれたとしても、そこには環境による清濁や美悪といった差異があり、また仁義礼智の性質が多すぎたり少なすぎたりといった不備があり、その比率などは人によって異なっているので、人間の出来不出来、賢いだとか愚かだとかの違いがあるのである。

【或は斉しきこと能はず】とは、斉しくない(=まちまちである)ことがあるということである。

 

 

是以不能皆有以知其性之所有而全之也。(是を以て皆以て其の性の有る所を知りて、之を全うすること有ること能はず。)

句解

人の気質は斉しくなくまちまちであるため、心にそなわる仁義礼智がどういうものなのか知ることや、またそれらを発揮して完全なものとして体現することは、必ずしも全員ができるわけではない。

 

  

(続)